2017年04月26日

不祥事について考える


最近、下村復興相の失言問題や中川政務次官の不倫・ストーカーなど相変わらず不祥事が多いですが、皆さんはどうお考えでしょうか?

私も人の上に立つ立場の者として失言等には気をつけなければいけないな、、、と自ら省みると共に(特に最近、ある人に指摘され大いに反省した)、そういったことがどうして起こるのか、日本人の心理を含めて考えてみました。

実の所、これはきっと多大なご批判を受けると思いますが、私は下村氏の発言は不用意・不適切だけれど、当事者以外の人がどうこう言う問題ではないと考えています。
(つまり東北の方が不快感を示すのは当然ですが、その他の地域の方が批判する必要はないかと。)

ですから全国民が口を揃えて「不適切だ!辞任しろ!」というのはおかしいのでは?と思うのです。
ここで「全国民」というのはメディアやワイドショーのコメンテーターが誰一人擁護する発言をせず、批判だけを喧伝するため、全国民が一つの方向性になってしまっているということと同義です。

何故、そういう考えかというと、私にはどうしてもトランプ大統領の発言と重なるのです。

ご承知の通りトランプ大統領はメキシコ国境に壁を作れ!とかイスラムの人は入国禁止とか、とんでもない発言をしています。
これに対する批判や影響力は下村復興相の比ではないでしょう。

にも拘らず、大統領はどこ吹く風で一向に辞任する気配はありません。
(きっと任期途中で辞任することはないでしょう。)
そしてアメリカ国民はそれを認めている(?認めているというかそうなることを受け入れている)

一方で、日本はどうか?というとその人が辞めるまで批判を続け、当事者は辞めない限り、村八分になってしまう。

これは、数年前賭博で問題になったバドミントン選手もそうですし、ベッキーもそうだったのではないでしょうか?(辞めるというより一般市民の“怒り?”が収まるまで徹底的に叩かれるという意です。)

これって本当に良いことでしょうか?

本来、バトミントン選手はバトミントンで評価されるべきですし、ベッキーは不倫はよくないことですが当事者以外に迷惑かけていません。
中川政務官だって外野がとやかく言わなくても良いのではないかと思います。

でもそういう時に、メディアが口を揃えて言う言葉は『道義的責任』とか『政治家としての“(政治家としての)資質”』です。

ですが、道義的責任はメディアに採り上げられた段階で既に恥ずかしい思いをしていますし、その人のやっている仕事の“資質”にはどう考えても違うところの問題なのではないでしょうか?

この辺が私はあまりにアメリカ人と日本人では考え方が違いすぎているため、どうにも釈然としないのです。

良く言うことですが、日本は島国です。
アメリカや欧米諸国と比べれば、島国である物理的な環境、そして日本語という局地的な言語の関係から世界の中では特殊な位置づけです。

そんな小さな閉鎖的社会の中で、誰かはみ出す人がいると皆で一斉に袋叩きにする。
それこそ『村八分』です。

でも、そうやって村八分になった人は、社会が狭いが故に他で生きていく場所がなく、社会から抹殺されてしまうのです。

この点バドミントンの選手は良い選択をしました。
海外に逃げたからです。

良いことは良いですし、悪いことは悪い。
でも、それは犯罪にならない範囲では、本人の良心に委ねられる事柄ですし、第三者は人(メディア)から煽られ洗脳され一方向に動くのではなく、自らの信念で考えを決めるべきだと思います。

posted by オーダースーツのヨシムラ at 17:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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