読者の皆さんは山崎豊子の“ぼんち”という小説をご存知でしょうか?
“白い巨塔”“沈まぬ太陽”なら知っている人も多いと思いますが、著者の比較的若い頃の小説で、大阪の船場商人の生き様?女関係?について書いた小説です。
私は実は山崎豊子には人並みならぬ親近感を持っています。
それは、作者の生まれ育った環境が私の亡父とほぼ同じなのです。
(多分ですが)亡父と同じ地域(大阪市中心部)に生まれ育ち、中学は北野中学で同じ。年齢も多分同い年か1学年違い。
山崎豊子の就職先(毎日新聞)は、社長が亡父の親友だった。などなど
どちらもお亡くなりになられていますから確認の手立てはないのですが、きっとどこかで面識はあったのではないかと思っています。
そんな中で、この“ぼんち”はどんな本かと言うと、一言で言えば大阪船場商人がいかに愛人を囲っていたか?という本です。(変な表現ですか?)
主人公は最大で4名の愛人を囲って、本家も贅沢三昧をさせ、かつ愛人達にも贅沢をさせるといった男としては凄く甲斐性?ある話なのですが、今の時代と比べるととんでもない世界です。
どこがとんでもないかといえば、昨今は芸能人や政治家・著名人は不倫だの愛人だのでメディアで嘲笑され、社会的な制裁を受けますが、当時は全く意に介さず。
というか、『愛人を囲えるぐらいだから凄い人(仕事もお金も)なんだろう』と考えられていたのが1つ。
もう1つは、これは私も目から鱗でしたが当の女性も妾の生き様というか妾のルールがあって、例えば、本家に認められた愛人は、年始に挨拶に行くとか、生死に関わること以外本宅に電話してはいけないとか。
厳しい話では子供が出来て生む場合は、生まれた後すぐに里子に出さなければならないとか。
またその際には男の子だったら家一軒ぐらいのお金を本家から頂けるとか。。。
(以上、当時の妾一般の話ではなく、大阪の豪商船場商人の話)
まぁ、桁外れです。
50年以上前の本を改めて読んでみると、人の価値観というのは時代時代で大きく変わるということが良く分かりました。
さて、皆さんはそんな時代に生まれてみたいですか?
私、、、さぁ。 笑
追伸:(本題と脱線したのでここで書きますが)
亡父と山崎豊子の関係?ですが、読者の皆さんは“白い巨塔”で医療ミスで亡くなった人が原作では生地屋の旦那だったことをご存知でしょうか?
何年か前に唐沢寿明が主役だった時には、お弁当屋さんのご主人がこの役でしたが、原作では生地屋の旦那です。
そう、吉村株式会社の生まれは大阪谷町の羅紗屋(生地屋)ですから、まさしく私の祖父が殺されてしまったようなものなのです。
(谷町は“ぼんち”で書かれていた船場の隣町です。)
何か山崎豊子の恨みを買っていたのではないか?とすら邪推してしまいます。
そんなこんなで山崎豊子の作品は何度も読んでおります。
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