2023年02月01日
社中協力の精神
ご存じの方も多いと思いますが、私は中学から慶応に通う、世間でいう慶応ボーイ(出身?)です。
そして慶應というと部外の方からはお坊ちゃんとかOB組織三田会があたかも現代のフリーメイソンのような言われ方をされることもあり、自分の実態(こう見てても意外と苦労してます。笑)との乖離に時々胸を痛めることがあります。
それはさておき、慶應義塾の創設者福沢諭吉先生が言われたことの1つに『社中協力の精神』ということがあります。
それは何かというと、慶應義塾が生まれた明治初期は、学問の中心は洋楽からの学びが中心で、当時は辞書も無ければ、異文化理解も足りず、試行錯誤の連続でした。
つまり、今のように体系立てた学問など存在せず、教授と言っても素人に毛が生えただけのような状況だったのだと思います。
そのような状況下で、福沢諭吉は、先生-学生という関係だけでなく、皆が協力し合って、時に優秀な学生がいれば分からない学生に教える、教えあいの精神が大切という事を説かれています。
その精神が『社中協力の精神』と言われるものですが、私が思うに、現代ではこれが欠けているような気がします。
現代は、福沢諭吉がいた明治初期からは経済的にはるかに豊かになり、また当時の身分制度・階級社会と比べれば現代は自由を謳歌する時代です。
でも、無責任なままの自由は、好き勝手・自由気ままとなり、それは我儘になり、最終的には自分だけが良ければ良いという社会になってきているような気がしてなりません。
そこで今日は会社で従業員に福沢諭吉の『社中協力の精神』について話をしました。
それは、社内で鍵当番があるのですが、その鍵当番を今まで固定された人だけがやっていた者を社員で平等に負担すべきでないか?と提起したところ、『私は●●だから出来ない』とか『私は嫌だ』という人が現れたためです。
※:●●は老親介護があるとか子供が小さいとかです。
社中協力の精神とは少し違いますが、私は日頃、【会社】は字をひっくり返せば【社会】になる通り、小さな社会だ。
社会は、出産・育児・介護etc一時期不遇な人がいればそれを助けることが必要だし、社会保険や年金制度も相互扶助の考えから必要だ。
会社も小さいながらも社会で、だからこそ一時的に苦しんでいる人がいるらなら助けて当たり前と言っています。(ですから以前から当社では育児休業等を拒絶したことはありません。当たり前ですが)
時代は自由な時代になりましたが、いついかなる時代でも、社会で人と人が交わる以上は助け合うことは重要です。
私はこの『社中協力の精神』を当社(グループ)共通の精神的支柱にしたいと考えています。
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