2023年09月11日
企業の倒産について考える
先日、学校や自衛隊などに給食の配膳をしている会社が倒産しました。
この倒産に関して一連の報道を見ていて思ったことですが、倒産した企業に対してメディアの論調がなんと冷たい事か。
企業にとって倒産は死を意味します。
上場している会社を除けば殆どの企業の社長さんは銀行等に対して連帯保証をしていますから、倒産=企業の死=自分の死に直結します。
もちろんそれまで良い思いをしていたでしょう?!とか倒産しても個人資産の一部を残している会社(社長)はいるでしょう。
でも、殆どのケースでは身銭を会社に貸し付けた後の倒産です。
ですから、社長自らの死といっても過言ではないと思います。
一方、倒産した会社に対してのメディアの論調ですが、傾向があるように思います。
それは、消費者に直結する会社に対しては非常に厳しい、ということ。
例えば、我々の業界でも例えば、成人式の晴れ着レンタルの会社が直前に倒産した時や倒産とは少し違いますが、学生服販売店が制服を入学式まで届けられなかったケース。
「一生に一度のことなのに可哀想」がキーワードとなり、その企業叩きが始まります。
今回のケースでも「子供たちが可哀そう」的論調が多いです。
どうして、その問題?を起こした企業のそこまでの努力を認めてあげないのでしょうか?
今回のケースでも倒産の原因は@廉価受注であり、A急激なインフレが2番目の要因です。
聞けば、Aに対して値上げの要請をしていたにもかかわらず、どこも受け入れず、やむに已まれず倒産と聞きます。
よく、日本人は優しいと言われていますし、自画自賛してメディアはこれを発信していますが、本当に優しいのでしょうか?
納入企業も昨今のインフレを考えれば安値受注で受注先が疲弊するのは目に見えているのに、契約を武器に一切受け入れず。
メディアも消費者関連ということで“善良な個人に対して企業は悪”とばかりに経営者を叩く。
どこか間違っているのではないでしょうか?
メディアは個人=情報不足≒無知 ⇒ だから善 というニュアンスで物事を判断しますが、私は子供には『無知=悪』だから勉強して、知識という武器を身に纏いなさいと教えました。(し、教えられました。)
福沢諭吉は学問ノススメで「天は人の上に人を造らず・・・」といっていますが、あれは『人は皆平等だ!』と言っている訳ではありません。
「天は人の上に人を造らないが、実際には身分の違いや貴賤、金持ちと貧乏人など沢山ある」
→どうしてか?どうすれば良いのだろう?
⇒皆、学問をすれば豊かになれるんじゃないか?
という話です。
話を戻します。
企業を経営するというのは、結構大変なことです。
過労死で死んでも労災は下りないし、残業代もありません。
寝食を忘れて仕事をした結果、不幸にも会社を潰してしまった方に対してもう少し社会が寛容になってくれることを祈ります。
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