2023年11月14日
宝塚問題
最近、元劇団員の自殺をきっかけに宝塚が揺れています。
事実関係だけでいえば、元劇団員が自殺した後、宝塚歌劇団は“劇団としてはいじめ事案があるといは考えていない”“加害者も被害者もおりません”と回答していただけに、自殺という重大な事実に対する認識としては、どんなに甘いんだろうと思われた方も多いと思います。
こういった事に対して私はいつも理解が出来ずに不思議に思うことがあります。
それは、人が人を傷つけたり殺したりすれば、当たり前ですが即座に刑事事件に発展します。
でも、この“人”が“組織”に変わった瞬間、突如“即座に”どころか“刑事事件”にすら発展しにくくなるのです。
これまでも沢山こういった事例がありました。
学校現場での教師による体罰の問題
→教師の刑事責任まで問うた事件がどれほどありますか?
同じく学校での生徒間いじめ問題
→いじめの加害者が刑事罰を受けることがありましたか?
スポーツ界でのパワハラ・セクハラ
→刑事罰がとわれれる以前に訴えた選手が所属団体から抹殺されてませんか?
会社でのパワハラ
→ようやく最近の大企業では加害者への懲罰を与えるようになりましたが、ビッグモーターを見る限りまだまだでは?
そんな中でのこの宝塚事件です。
第三者委員会の報告は何でも今日の午後〜らしいので、それはまだ見ていませんが、きっと加害者側の劇団員の名前は伏せられ、主犯・共犯とも明らかにされないまま、「責任を感じ入り、体質改善に努めます。」とぼんやりした報告になるのではないかと思います。
繰り返しますが、人を殺せば、普通、警察が捜査を行い、犯人(主犯・共犯)をあぶりだして司直の場に引きづり出されます。
でも、組織という集団になったとたん無実の構成員を守るという名の元に、事実が隠蔽されブラックボックス化されます。
そして、ブラックボックス化で首尾よくごまかせてしまうと、こういったことは続きます。
これでは何の解決にもなりません。
私も企業という組織を束ねていますので、可能性としてはこのようなことは十分起こりえると思います。事実、小さないじめを訴える社員はこれまでも何件かありました。
確かに加害者には加害者の論理もあり、被害者=善、加害者=悪と決めつける構図も正しくありませんが、大切なのは、善いことは善い、悪いことは悪いという是々非々の観点、そしてコモンセンス(常識感)なのではないかと考えています。(社内でこういったトラブルが発生した際にはこの感覚を重視して、問題解決を諮っています。)
人を手痛く傷つけたり殺せば、当たり前ですが報道で実名が晒されます。それは容疑者の段階でも晒されます。
今日報告書が第三者委員会の報告(報道)がなされるとのことですが、真摯に反省をするのであれば、全て実名で報告すべきと思います。
きっと名前が挙がった人は二度と宝塚へは戻ってこれないでしょうけれど、命を捨てざるを得なかった被害者から見れば、命があるだけましです。
犯人だった方も反省し罪を償ったならば、閉鎖的な日本を離れ海外に行って再度チャレンジすれば良いのではないでしょうか?
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