私共の業界は世間全体から見れば大変ニッチな業界ですので、よもや日経新聞に同業の話が掲載されるとは夢にも思いませんでしたが、昨日の日経朝刊に、大賀さんのことが掲載されていました。
同社は創業は吉村と同じ大阪の谷町。
所在も昔の大阪吉村から20-30mしか離れていない場所が創業ですからひょっとしたら先代同士面識があったのかもしれません。
バブルの頃はキングタイガーというブランドで既製服販売を中心に大阪や北海道、宮崎他数か所の縫製工場を持ち、多分日産500着位の生産はしていたんではないかと思います。
その大賀が昨年7月に民事再生をしたのですが、日経新聞の記事では太文字タイトルで
【遅すぎたスポンサー探し】【紳士服の老舗、改革手つかず】と書かれていました。
記事によれば同社は1992年には335億(内部留保131億)だったのが、破綻時の2023年7月期には27億まで、およそ1/12まで売上が落ちたそうです。
記事では、クールビズやコロナによる社会変化、在宅勤務が増えることによるスーツ需要減少という変化への対応が遅れ、この結果に至った。
その間、なぜスポンサー探しをしっかりやらなかったのか?
先代が築き上げた歴史、伝統、実績を守ることを優先し時代から取り残される老舗も少なくない、と厳しく書かれていました。
(ここまではほぼ記事で書いてあることをトレースしています。ここからは私の意見です。)
実のところ大賀は当社とは結構関係が深い企業でした。
まず当社の玉岡取締役をはじめ役職員に大賀OBの人が結構いるという点。
それ以外にも、こんな関係がこれまでありました。
三久服装:同社はヨシムラのグループ企業で今はリフォーム(お直し)を中心に営業していますが、10年ほど前まではハンドメイドの仮縫い付きフルオーダーの縫製工場でした。
約15年位前に、同社が倒産しかかった時に吉村が債務を肩代わりする形でグループ企業にしたのですが、実は、同社の買収前の主要顧客が大賀でした。
何故倒産しかかったかと言うと、簡単に言うと売上の7割を占めていた大賀が優越的立場を使い、1年中、閑散期料金を適用し取引していたからです。
ですから、吉村が買収した後、大賀からの取引を削減するよう指示をして(その分をヨシムラ側からのオーダーで補って)会社は再生しました。
まぁ、昔ながらの、下請け業者叩きをされていたという事です。
オリテック青森:こちらは皆さんのスーツを縫製している縫製工場ですが、こちらは大賀さんが縫製工場を縮小する際に、代替工場として当社に縫製依頼がありました。
ですが、その以前に同社から同じように下請け工場を打診してきた時(その時は当社も積極的に受けたのですが)「大賀用に一日●●着の生産枠を作ってくれ」と言われ枠を作ったのに待てど暮らせど注文が来ず、繁忙期の一番のピークになって「●●着の枠があるから作ってくれ!」と要求され、閉口したのをよく覚えています。
ようは自社ファーストが強烈に強いんですよね。
ですから、工場縮小(閉鎖)で代替工場としての生産を依頼された時も当社はお断りしました。
以上は、私の実体験に裏付けされた意見です。⇒続編に続く
2025年01月22日
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