最近、無差別に人に危害を加える通り魔的な事件が散見されますが、私それを見るたびに嫌になります。
先週も文京区の南北線東大前駅で、無差別に切りつけた加害者が捜査供述で
「中学時代に親から教育虐待を受けた。度が過ぎると子どもがぐれて、罪を犯すと世間に示したかった。」と供述したとの報道を聞いて、正直無茶苦茶腹が立ちました。
なんで自分が犯した犯罪を他人(親)の責任にすり替えるのか?
親も泣くに泣けないでしょう。
それとも皆さんはこの犯人に同情されますか?
安倍総理が殺害された事件でもそうですが、あの時は宗教2世だから、、、とか言われましたが、人に危害を加えたのは当の本人でどんなに周辺の影響があったとしても正当かは出来ません。
これに関して、私の口癖を1つ言います。
これは社員にも半ば社是のように自分の口癖を口うるさく言っている言葉ですが、
それは、、、【自責を他責にすり替えてはいけない】ということ。
何か困難にぶつかった時、出来ない人は出来なかった事実を認めないで、必ず言い訳を言います。
そう、○○が悪い、だから出来なかったと。
例えば、それは、就職氷河期だったから自分は経済的困窮なんだとか、
今回で言えば、教育虐待を受けたから犯罪を犯したんだとか。
こんな大きな話でなくても、身近な営業でも商品力が悪いから契約が取れなかったんだとか。
ホントこんな言い訳は世の中に蔓延しています。
そう、出来なかったのは自分の責任なのに、それをまことしやかに他人の責任にすり替えるのです。
でも、そんなことを繰り返して真実から目を背けても事実は変わりません。
就職氷河期で、正社員就職の口が少なかったのなら、派遣になっても頑張って金を貯め起業すれば良いじゃないですか?
また氷河期だからといっても正社員の口が日本中を見てゼロだった訳ではないですから、スキルを得て正社員就職すれば良かったじゃないですか。
それをしなかったのは自分の責任であり、それを世の中のせいにしたって事態は好転する訳ないと思います。
こうやって書くと吉村は慶応ボーイだから庶民の苦しみを知らないだからだ!とか吉村はバブル入社だから苦労知らずなんだ!という人がいますが、あんまり自分のことを言いたくありませんが、私自身こそが教育虐待を受けてきた当時者です。
小学校3年生の時、4年生の塾に入れられて、それがバレて泣きながら帰宅したことがありますし、
(中学受験の)四谷大塚では成績が悪いと親からは殴られ、骨折したこともあります。
家の中では自室に鍵がなく逃げ場がないため、家の中で一番安心できるところはトイレでした。
暴力から逃れたくて家に火をつけようとしたこともありますし、
恥ずかしい話ですが、私は夜尿症が治るのが遅く、12歳までおねしょをしていました。それが治ったのは、中学受験が終了したのと同時でした。
だから決してボンボンでは決してありません。
そんな中でも歪まないで大人になれたのは、親からどんなに虐待を受けても自分の将来のことという気持ちを持ち続けたからです。
どんなに苦しくても自分のために努力をしつづけなければ未来は決して開かれません。
だから皆さんも何か失敗して言い訳をしたくなった時に、【自責を他責にすり替えるな!】という言葉を思い出して下さい。
2025年05月12日
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